成長中のベンチャー・スタートアップ企業インタビュー、今回はBuySell Technologies(バイセルテクノロジーズ)の岩田匡平さんにお話を伺いました。
岩田さんは、メドレー田丸さんが大学時代からの友人ということでご紹介を受けました。
東大、博報堂という輝かしいキャリアから起業し、バイセルテクノロジーズのコンサルティングをしていたことをきっかけに役員、代表取締役に就任。そこからスピードでIPOされた経営者です。
今回は、博報堂時代のことから、バイセルテクノロジーズ成長の背景、マーケティング戦略など、ざっくばらんにお話をいただきました!
目次
代表取締役社長兼CEO 岩田匡平 さんの経歴
東京大学工学部システム創成学科をご卒業。新卒では株式会社博報堂に入社。その後、マーケティングコンサルティング等を提供する会社を2014年に起業し、代表取締役に就任。ベンチャー企業を中心に、成長企業のマーケティング活動を幅広く支援。
2016年6月からBuySell Technologiesのコンサルティングを開始、2016年10月に取締役としてBuySell Technologiesに参画した。リユース事業全体を管掌し、その後2017年9月に代表取締役社長兼CEOにご就任。
株式会社BuySell Technologies
株式会社BuySell Technologiesは「人を超え、時を超え、たいせつなものをつなぐ架け橋となる。」をミッションに掲げる企業です。買取や販売の循環を実現するためのリユースサービス「バイセル」を提供しています。
岩田さんが起業家・経営者になるまでの経緯
高野:お時間いただきありがとうございます!今日はバイセルテクノロジーズのイケメン社長岩田さんに迫っていきたいと思います!よろしくお願いします。
まずは、岩田さんの起業に至るまでの背景からお伺いしてもよろしいでしょうか?
岩田:イケメンではないと思いますが(笑)、よろしくお願いします。
私は、2008年に博報堂に新卒入社しました。就職活動をしていたのが、2006年くらいのことです。
当時、ライブドアの堀江さんが日本放送経由でフジテレビを買収しようとしていたときで、連日そのニュースで持ちきりでした。「ヒルズ族」「ホリエモン」などインターネット界隈の人が取り上げられ始めた象徴的なタイミングでしたね。
そうした影響もあり、20代で起業するということを念頭に置いて就職活動をしていました。
高野:会社を起こすこと、経営すること、というのは、それまで身近だったんでしょうか?
岩田:それは全くでしたね。
私は静岡県焼津市出身で、父親は元漁師です。決して経済的に恵まれた家庭ではなかったと思います。どちらかというと、雑草魂・反骨精神がベースにあるタイプですね。
高野:でも、岩田さんは東大のご出身で、勉強はかなりできたのではないでしょうか?
岩田:中学校までは勉強ができるほうだったこともあり、静岡県では有数の進学校である県立静岡高校に入学することができました。
ただ、そこまで勉強は一生懸命やっていなくて、「グレている方がかっこいい」というような高校生だったんですよね。学校の先生や周囲からは、少し白い目で見られていて、「あいつはダメだ」というようなレッテルを貼られてしまっていたように思います。学校に行ってはピアスを取り上げられるような毎日でしたね(笑)。
そんな中で、一つターニングポイントがありました。
私より日々忙しそうで、様々な活動に精を出している同級生が、高校1年生の夏休み後の学力テストで、確か国語だったと思いますが学年4位をとっていたんですよね。
一方で私は、下から2位。チャラチャラ過ごして下から2番目の自分が急にダサく思えてきました。そこで気合が入りましたね。
高野:そこから巻き上げていったんですね。
岩田:高校1年生の後半からはしっかり勉強して、結果東京大学に入学することができました。
でも、東大に入ると、そこでまた新しい壁にぶつかるんですよね。周りが優秀なので、なんとか底辺で喰らいついて行くような状態でした。
2年生から3年生に進級するタイミングで、学科の割り振りがあるのですが、そこでも進んだ学科にはビリで滑り込んでいたと後から知りました。
高野:それでも、雑草魂が感じられますね。岩田さんは理系のご出身だと思うのですが、大学院には進学しなかったのでしょうか?
岩田:理系なので、多くが大学院に進学していましたが、私は家が裕福でなかったこともあり、院進学はせずに就職することにしました。
そこで、冒頭の堀江さんの話題があったんですね。堀江さんは東大を中退しているので、東大生として勉強でトップだったわけではないはずです。
でもその人が、時価総額1000億円の企業を作り、フジテレビを買おうとして、世間を動かしている。自分の身一つでサバイブするような、こんなかっこいい生き方ががあるんだな、絶対20代で起業しよう、と考えるようになりました。
20代で起業しようと思ったのは、その当時の堀江さんが33歳くらいだったからですね。同じくらいの年齢で堀江さんのレベルになるためには、20代で起業する必要があると感じていました。
高野:起業から逆算してキャリアを考え始めたんですね。就職活動の際は、どのように企業を選定したのでしょうか?
岩田:理系学生の多くは、メーカーのエンジニア職など技術畑に就職をしていましたが、20代で起業するという夢から考えると潰しがきかなくなるかもしれないと思いました。
一方で、全てのサービス、プロダクトにおいてセールスとマーケティングは必要になりますよね。だから、マーケティングが学べる会社に勤めようと思って就職活動をしていました。
その中でも広告がいいかなと考えていたのですが、博報堂のインターンシップに参加して、そのまま内定をもらったので、結果的に1社しか受けずに博報堂へ入社しました。
高野:マーケティングを身につけて、起業しようという考えだったわけですね。実際に、働きはじめてからはどうだったのでしょうか?
岩田:実際に入社して、仕事の結果が出て評価をしてもらえるようになると、正直どこかで20代で起業しようとしていた自分の思いは揺らいでいました。考えはするものの、一歩踏み出せないという状態が続いていましたね。
最終的に、自分が起業したのは、29歳11ヶ月のときでした(笑)。
高野:起業しようと言っても、ほとんどの人が起業されないので、踏み切ること自体が素晴らしいと思います。後押しがないとできないですし、後押しがあってもできないことが多いです。
マーケティングコンサルティング会社の設立
高野:実際に起業する際の事業選定はどのようなことを考えていたのでしょうか?
岩田:自分の中で、会社員時代にもどかしい想いをしていたポイントがあったので、それが事業の切り口になりました。今は環境も変わっているので、状況は違うかもしれませんが…
博報堂時代、年間広告予算が100億以上もあるいわゆるナショナルクライアントを担当させて頂いていました。営業だけで30人以上いるような大きなチームでした。
そうやって仕事をしている中で、隣りのチームに、ベンチャー・スタートアップがなけなしの2億円を持ってCMをトライしたいと相談に来るんですね。
でも、横で100億円のアカウントを動かしている中で、2億円のアカウントの優先順位は上がりづらいですよね。どうしても、会社の利益を考えたときに優先順位が下がり、スタートアップはいいコンサルテーションが受けられていなかったと思います。
日本はこれだけ狭い国土に1.2億人もの人々が生活しており、その経済規模は世界的に見ても有数です。さらに、このマーケットに対し、実に隅々までコスト効率良くマスリーチできる電波網が敷かれています。にもかかわらず、マスグロースするスタートアップが米中に比べると非常に少ない。
ここに問題意識ともどかしさを抱いていました。
高野:これから成長しようと思っているスタートアップがサービスをスケールアップさせるための理想のアクションが取れていないということですね。日本のマーケティング環境が優れている点はどういったところでしょうか?
岩田:日本は放送局の数が限られていて、それを使うと基本的には1.2億人にリーチできます。実はこれは希有な状況です。
例えば、米中では非常に多くのチャンネルがあり、マスリーチさせようと思うと莫大なコストと労力が必要になります。さらには言葉や民族の問題で、どうしてもローカルマーケティングになりがちです。
でも、日本はほぼ単一民族国家で、日本語で地上波に流し込めば比較的容易に1.2億人にマスリーチできます。
相対的に見てこんなに好ましいマーケティング環境があるのに、なぜ東京からマスブレイクスルーするベンチャー企業がほとんど出て来ないのか、と思っていました。
アイデアや、パッションや、ファイナンス環境や、技術力がそんなに劣っているとも思えません。
日本というマーケティング環境を“正しく享受できれば”もっとスタートアップ企業やベンチャー企業のマスグロースが連発して、日本経済の活性化に繋がるのではないかという思いでマーケティングのコンサル会社を立ち上げました。
バイセルテクノロジーズの代表就任と上場
高野:なるほど。その中で、バイセルテクノロジーズに代表取締役に就任されるまでには、どういった経緯があったのでしょうか?
岩田:いくつかコンサルティングする中で、現ミダスキャピタル代表パートナーの吉村さんに当時手伝ってあげてほしいと言われた企業が現在のバイセルテクノロジーズでした。
コンサルティングを始めたのは2016年6月でしたね。当時は、組織課題が多く、またデータ分析に基づくPDCAサイクルなども確立していなかったと記憶しています。
コンサルティングを始めた6月は管理会計上赤字の状態でしたが、そこから、7月は苦しかったのですが、8月に過去最高の申し込みを獲得し、さらに9月にも最高を更新して、再度黒字水準にターンアラウンドしていったと記憶しています。
高野:いきなり黒字化まで事業を回復させることに成功したんですね。他にはどのような施策を推進したのですか?
岩田:TVCMへのチャレンジです。まだ名も無きベンチャーがマスグロース出来ることを証明する、という意気込みでTVCMへの積極投資を推進しました。
高野:そこからの業績向上と知名度向上は目を見張るものがありますよね。IPOまでも順調だったのですか?
岩田:いえ、IPOは一度大きな壁にぶつかっています。元々2018年のIPO予定ということでバイセルテクノロジーズにジョインしたのですが、2017年の10月に前創業経営者が別に道に進みたいということで、株主と経営陣の交代を行っています。現大株主のミダスキャピタルが大きく出資をしたのですが、このタイミングで私も一部出資をさせて頂き、代表取締役に就任しました。ここから2年3ヶ月で2019年12月に悲願のIPOを果たしています。
高野:就任後のスピード感もさすがですね。
高野:ご自身でマーケティングコンサル会社も経営されている中で、バイセルテクノロジーズの経営に深く入って行きたいな、と思ったのはどんなポイントだったのでしょうか?
岩田:私が事業を面白いと思える3つのポイントがすべて当てはまったからですね。その興味が持てるポイントは、
・市場が大きいこと
・世論、時代が後押ししていること
・競合が真似できない参入障壁を作れること
これらすべての要素を揃えられるのではないかと考え、フルベットしようと思いました。
高野:当時、すでにメルカリも伸びていますよね?
岩田:メルカリさんの存在は、競合というよりも、二次流通市場を開拓してくれたという方が大きかったですね。メルカリさんが先にブレイクしていたことで、消費者の二次流通に対する障壁が低くなっていました。
高野:なるほど。元々、不動産などもどうしても新品がいいというのも日本は根強いですもんね。
岩田:はい、自動車もそうですね。それが変わってきたのは大きかったです。一時流通よりも二次流通のほうが市場は大きいので、大きなチャンスだと思いました。
そうして、二次流通への許容度が高まっている中で、目をつけたのが「隠れ資産」です。隠れ資産とは、人々が保有しているものの中でも、使用も販売もせず、1年以上家に眠っている資産のことです。
リユース業界の経営者でマスマーケティングに精通している人はほぼいないと思っていました。マーケティングドリブンでこの市場を席巻できると考えたのです。
バイセルテクノロジーズで手掛けたマーケティング戦略
高野:こうした市場へのマーケティングについて知りたい方も多いと思うのですが、どういった戦略でマーケティングをしていったか、教えていただけますでしょうか?
岩田:それまで、金、ブランド品を買い取る業者というコーポレートイメージが強かったバイセルですが、そのイメージをガラッと変えて、シニア向けのリユースカンパニーで行くことにしました。
出張買取の利用者にサービスの利用理由を聞いてみると、遺品整理や生前整理などで、50代以上の利用者が多かったんですね。数値にして75%以上が50代以上という結果でした。だから、その層に特化したマーケティングをしていく方針にしました。
この層はオンラインマーケティングだけでは中々動いてくれない層なので、攻略するのは難易度が高いと思います。
バイセルでは、難易度の高いオフラインマーケティングも効率的に活用し、シニア層へのアプローチを最適化しています。これによりお問い合わせ数もグングン伸び続けています。
このように、突き抜ける領域を見定め、戦略を研ぎ澄ませたことで、上場を経てさらなる成長が実現できているのだと思います。
高野:領域選定と戦略立て、それを着実に実行する力があってのことだったのですね、勉強になりました。
本日はありがとうございました!
取材あとがき
以上、岩田さんにお話を伺いました。
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