代表取締役社長 前田佳宏

大阪大学工学部卒業。2000年、尊敬する稲盛和夫さんの下で働きたいと京セラに入社。主に海外営業に従事。2006年、野村総合研究所(NRI)へ移り、製造業を中心に事業戦略、M&A戦略立案などのプロジェクトで活躍。メーカー同士のマッチングに課題を見いだし、2012年Distty株式会社(現・リンカーズ株式会社)を設立。

リンカーズ株式会社

リンカーズ株式会社は従来の企業同士の “出会い” の在り方を見直し、これまで不可能であった最適な “出会い” を提供することにより、多くのイノベーションを生み出す新しい産業構造を、国内外に築いていくための2つの主軸サービスを提供。 ①日本最大級のモノづくり系クラウドソーシングサービス「Linkers(リンカーズ)」は、全国の産業コーディネーターが適切なサプライヤー&パートナーを提案するビジネスマッチングプラットフォーム。②Web展示会システム「eEXPO(イーエキスポ)」は中小・ベンチャー企業を中心としたさまざまな業界の企業が製品や技術を展示するweb 上の常設展示会で企業・大学・専門家の技術・製品を繋ぐビジネスプラットフォーム。

 

 

全ての経験は生きている、大手メーカー京セラでのファーストキャリア

高野:今回はリンカーズの前田さんにお話をお伺いします。わざわざスーツで出て来て頂き申し訳ありません!

 

前田:いや私は仕事でスーツを脱いだことがありません。

 

高野:失礼致しました(笑)。これがリンカーズさんの色ですね。まずはご経歴からお伺いさせて頂きます。

 

前田:大阪大学工学部を卒業後、新卒で京セラに入社しました。大学院に進学する選択肢もありましたが、ニッチな分野の研究を極めるのではなくもっと幅広い世界を見たいと思いビジネスマンを目指しました。

今、振り返ると理系のニッチな研究も好きでしたが、ビジネスの方が好きな人間だったのかも知れません。父は零細企業を経営していました。経営はなんとか右肩上がりだったものの、私が小学生の時、会社の工場が火災に見舞われ全てが一瞬で失われた状況に直面したことを覚えています。波乱万丈の幼少期でした。しかし、私はそんな経営者である父の姿に憧れを抱いていたのです。

京セラには、稲盛和夫氏の経営哲学、京セラフィロソフィーに惹かれて入社しました。大学時代から経営者の書いた書籍を読むことが好きでした。中でも京セラの稲盛氏の「成功への情熱」に強い感銘を受けたことを覚えています。

 

高野:私も稲盛氏の「人間として正しいことを追求すること」という言葉に強い感銘を覚えています。

 

前田:そんな憧れで入社した京セラは稲盛氏の大家族主義経営が浸透していました。

1年目は何の仕切りもない相部屋の寮に住み、みんなで大浴場に入りました。社内の運動会で若手は応援団に任命されました。この運動会は若手にとって通常業務よりも大切な仕事でしたので、運動会の2ヶ月前は17時にデスクにいると、「なぜお前は応援団の練習をしないのか?」と上司から連絡が来ました。今の若手層には少し刺激的なカルチャーであったかも知れません(笑)。

 

高野:時代により会社経営のあるべき姿は変わってきますね。

 

前田:京セラでは、1年間CSの部品サポートを担当し、その後、電子部品の海外営業の担当となりました。私のクライアントは韓国の会社です。仕事に営業能力は関係なく飲んだお酒の量で営業結果が決まったのです。

私はお酒が弱いです。そのため、2杯飲んだら常に吐く戦法を取り入れました。その結果、見た目としては無限にお酒を飲むことができ、社内では酒豪の前田と有名になってしまいました(笑)。

 

高野:余談ですが私はお酒が弱いことは諦め、ジントニックのようにみえる炭酸水をいつも飲んでいます(笑)。

 

前田:仕事の大枠を掴んでくると「私の仕事は、既に現場でのリレーションが成り立っていて、自分が担っている機能は必要ないのではないか?」と感じることがありました。そして、6年半海外営業の経験を積んだ後、「世の中に大きなインパクトを与える仕事がしたい」と転職活動を開始しました。

今、振り返ってみると京セラでは稲盛氏の京セラフィロソフィーに加えて、ビジネスマンとしての基礎、仕事の基本、大手企業との仕事の進め方など何から何まで吸収させて頂きました。ファーストキャリアとして京セラでお世話になったからこそ今があります。

 

コンサルタントとして見た問題意識を自分の手で解決するために

高野:当時は大手メーカーご出身で転職される方は少なかったと思います。

 

前田:転職は周囲から反対されましたし、転職活動には苦戦しました。私は、「世の中に大きなインパクトを与える仕事がしたい」この思いを叶える場として、事業戦略を練って企業を変革していくコンサルティングファームを志望しました。しかし、20社受けるも、16社からお見送りの連絡です。とことん落ちました。また、遠方からの転職活動であったためトータルで転職活動に2年間もかかりました。

そんな私ですが、NRIよりご縁を頂きコンサルタントになることが出来ました。転職活動は一筋縄では行きませんでしたが、諦めなかったことが効を奏しました。

 

高野:前田さんのような方でも転職活動にご苦労されるのですね。

 

前田:転職後、NRIの仕事は本当に楽しかったです。毎日タクシー帰りでしたが全く苦になりませんでした。自分の頭を使って仕事をしている感覚が何よりも嬉しかったです。また、メーカー出身のバックグラウンドだったので、現場経験とメーカーの内情を知っていた強みがありました。

4年間、製造業の事業戦略の策定に関わりました。仕事が本当に楽しく熱中していました。しかし、問題意識を持ったことを覚えています。第三者であるコンサルタントが出来る仕事の限界です。結局、企業にはそれぞれルールがあり、ステークホルダーが存在します。人が動かないとどんな美しい戦略があっても何も変わらないと痛感しました。

 

高野:コンサルタントしか出来ない仕事もたくさんありますが、自らの手で事業を動かしたい思いが強い、前田さんには何か物足りなくなったタイミングなのかも知れませんね。

 

前田:そして起業を決意しました。NRIの社内ベンチャーでも起業は出来ましたが、重要なタイミングで意思決定が遅くなることを懸念し、自ら起業することを決めました。NRIは、終身雇用の制度が整っており起業する人は少なく、自分は突出した存在だったかも知れません。

 

 

最初は泥臭く、でも一歩一歩確実に日本の産業の流動性を高める

高野:ここからは起業からの経緯をお伺いします。

 

前田:実は起業の前にMBAも検討し半年間GMATなどの勉強をしました。しかし、自分がビジネスマンとして世の中にインパクトを与える仕事が出来る時間は意外と短いことに気がつき起業して挑戦する決意を固めました。しかし、転職活動と同じように起業も一筋縄では行きませんでした。本当に泥臭い日々でした。

起業のテーマは、日本の産業の流動性を高めるために、製品のバリューチェーン(原材料の調達からサービス提供までの一連の流れ)をオープンにすることと決めていました。これは、京セラ、コンサル時代も私が認識していた問題意識です。日本の産業は製品のバリューチェーンが閉鎖的で、川上業界の人は川上のみ、川下業界の人は川下のみにとらわれていて、そこに流動性がありません。異なる強みを持つ双方をマッチングさせることが難しい構造です。枠組みを取り払うだけで生まれるシナジーが消されてしまっています。

初期事業は300ほどの製品のバリューチェーンを調査・分析し「見える化」するto C向けのSNSを作りました。製品を細かく見える化し、その各プロセスに人々がノウハウや意見を書き込み、マッチングするサービスです。バリューチェーン内の人材のコミュニケーションの活性化を図ろうとしました。

しかし、全くスケールすることは無く、現副社長の加福と2人でユーザー10人分の存在を演技して、2人だけで盛り上がっていました(笑)。アクセスが増えれば、マネタイズが出来ると甘いことを考えていましたが全く収益が上がりませんでした。

 

高野:スタート初期はどんな方もそんなものですよ!

 

前田:これを踏まえてto C向けとして人の登録を待つのではなくto B向けとし企業の技術をバリューチェーン上に登録してもらおうと考えました。これが中小企業向けのBtoBの WEB上の展示会場「eEXPO(イーエキスポ)」事業の始まりです。

仕事を通して東北地方の震災復興支援に携わりたいという思いがあり、ターゲットを東北企業に定めました。そして、東北経済連合会に飛び込みでアプローチをしました。当時、東北電力から東北経済連合会に出向されていた竹内さんにeEXPOの発想に大変共感頂き、わずか1か月で業務提携が決まりました。竹内さんと一緒に1年ぐらいかけて東北地方の500社ほどを訪問して登録していただくことができました。しかしこの事業もマネタイズに苦労し中々軌道に乗ることは出来ませんでした。

 

高野:本当に地道な努力でしたね。

 

前田:半年仕事をしても何も成果が出なくて本当に厳しい日々でした。NRI時代の同期である、現副社長の加福が仕事を手伝ってくれたことは心の支えでしたね。会津に訪問した際には、意味のない仕事だと説教を受けたこともありました。39度の熱があっても、どんなに体調が悪くても訪問は継続して行きました。

 

 

高野:大変な日々をすごされていたのですね。

 

前田:加えて、東北企業を地道にアプローチした結果、生まれた地元の皆様との人脈を持つことが出来ました。私が注目したのは、各地域の中小企業の経営支援や営業支援に携わり、長年にわたって信頼を築いている、各地の産業支援機関や大学の専門家の方々です。この方々をコーディネーターと呼んでいます。そうした地元の企業を熟知しているコーディネーターを介して、パートナーとなる優秀な中小企業を発掘していく仕組みを構築し、クローズドなネットワークの中でマッチングを図ればいいのではないかと考え、立ち上げたサイトが「Linkers(リンカーズ)」です。

 

高野:複雑な業界構造だからこそ人の介在が必要だったのですね。

 

前田:地に足をつけて地道に業界に入り込んだからこそ見えた世界でした。そしてこれを契機に「Linkers」事業は成功体験と実績を得ることが出来ました。

バンダイナムコ系列の企業からダンボールで防音室を作る技術を探して欲しいという依頼を頂戴しました。学生でも安価に購入できる段ボールの防音室の作りたいというオーダーです。自分で企画書を作りこれまでの営業で培った東北のコミュニティー内から一緒に仕事が出来るパートナー企業を探しました。

その結果、あるコーディネーターさんが過去に類似するプロダクトを作った企業があるという情報をお持ちだったのです。某音響メーカーとダンボールで防音室を作った実績がある企業です。パートナー企業がすぐに見つかり、類似するプロダクト開発のノウハウもすでにあったため、2ヶ月で試作品が完成しすぐにプロダクトをリリースすることが出来ました。

これはメディアにも掲載頂き、「Linkers」の介在価値を実感できた仕事でした。同じように、追加の4社の案件も東北のコミュニティーを活用させて頂き、全て成功プロジェクトとなったのです。

 

高野:この業界はお互いのポートフォリオや技術力を公開し合う文化がなかったのですね。

 

前田:おっしゃる通りです。これは日本の産業界の根本的な問題にも起因します。日本の産業界は商品企画に成功してもそれが量産に至るケースが極めて少ないということに気づきました。大手企業でさえ率にすると5%ほどに過ぎません。なぜかと言えば、アイディアを形にするための最適なパートナーが見つからないから量産出来ないのです。

現在、全国にモノづくり企業は43万社ほど存在していますが、大手企業が難度の高い開発商品を企画し、そのミッシングピースを担えるメーカーを探そうとしても、条件にぴたりと合う企業はほんの数社しか存在しないことがほとんどです。そうしたモノづくりのパートナーというのは、ネット検索や展示会ではまず巡りあえません。ほとんどの企業が「技術が盗まれるから」とオープンにすることを拒むのです。

 

高野:確かにモノづくり企業が技術力を盗まれるリスクを取ってまで、PRするメリットはありませんね。

 

前田:しかし、モノづくり企業は仕事を求めていますし、大企業のパートナーとしてしっかり仕事ができる技術力を確かに持っているのです。これをマッチングさせる「Linkers」事業を推進させることで、「世の中に大きなインパクトを与える仕事」が出来ると思いました。

 

 

リンカーズの圧倒的企業成長ストーリー

前田:「Linkers」事業が軌道に乗り、事業のPRにドライブをかけるフェーズまで来ることが出来ました。この時、PRの第一人者ということで、ビズリーチの南壮一郎さんをご紹介頂きました。

南さんにお会いさせて頂くと、「このビジネスモデルは凄いからPRの必要はない。資金調達をしたほうがいい!」とありがたすぎるアドバイスを頂戴しました。そして、その場で南さんがJAFCOさんに電話して下さり、2億円の資金調達が決まりました。

 

高野:その場で2億円の資金調達!そんなことがあったのですが。

 

前田:予想外の展開に正直私も驚きました。JAFCOさんによると、ボロボロのオフィスで固定費を削減しながら粛々と戦っている企業は成功する傾向があり、弊社はドンピシャだったそうです。コスト意識があって評価される傾向にあります。逆に、当時のオフィスはあまりにもボロボロだったため、お客さんからはこの会社は大丈夫なのかと不信感を持たれてしまうこともありましたが(笑)。。

 

高野:オフィスに関しては、創業期こそ固定費を削減するべきでここに気を配れるかは経営者のコスト意識が反映されますね。

 

前田:その後JAFCOさんには営業活動などのお力添えをいただき、事業を順調に伸ばすことが出来ました。しかし、人の採用に苦戦しました。私自身、採用のノウハウは皆無ですし、知名度が無い企業です。人を見る目もなく、苦労しました。人の採用は本当に難しく、予想以上に時間を使ってしまったことを覚えています。

 

高野:今後の企業の戦略について教えてください。

 

前田:「日本の産業の生産性を最大化する」ことが使命です。そのためには、これまでのニーズドリブンのマッチングだけではなく、シーズをプッシュ型で用途開拓することが必要です。つまり「探す」と「売る」の双方向のマッチングを手掛けることにより、より多くのマッチングを創出するプラットフォーマーを目指します。

 

高野:直近では、地銀との業務締結もリリースされましたね。

 

前田:皆様のお力添えもあり、金融領域にも着手しています。金融機関向けビジネスマッチング支援システム 「Linkers for BANK」をリリースしました。その第一号として、2018年1月22日(月)より、北陸銀行(本店:富山県富山市、頭取:庵 栄伸)が「ほくぎんビジネスマッチングシステム」として提供を開始し、地元企業に対する迅速かつスムーズなビジネスマッチングを強化します。Linkers独自の強みを生かして、日本の産業のさらなる発展支援、地方創生活性化の促進を目指します。

 

 

リンカーズさんはこんな方を求めています

高野:これまでどんなバックグラウンドの方がジョインされましたか?

 

前田:営業チームはメーカー出身の技術職が多いです。これまでの技術を熟知していながらも、フロント側に立ち、営業をやりたいとキャリアチェンジをしています。弊社の営業は技術の理解がマストです。システムチームはベンチャー出身などバックグラウンドは様々です。

 

高野:前田さんはどんな方と一緒に働きたいですか?

 

前田:リンカーズは日本のものづくり産業の皆様とお仕事をさせて頂いておりますが、社内はベンチャー的マインドを持つメンバーが多く、全員が前のめりに働いています。加えて、企業理念の「多くのイノベーションを生み出す新しい産業構造を創り、産業全体の生産性を最大化する」この点に共感している方と働きたいです。現在の能力以上に成長力・改善力がある方がふさわしいと思います。。

 

高野:リンカーズさんは超渋谷系ベンチャーとは少しカルチャーが違いますよね。

 

前田:仕事でスーツを脱いだことも、Tシャツを着たこともありませんね(笑)。

「日本の製造業の活性化に対する熱い想い」をお持ちの方の参画を心よりお待ちしております。一緒に、世の中に大きなインパクトを与える仕事をしましょう。

 

キープレイヤーズ高野のコメント

日本はかつてから製造業が強く、世界に通じる素晴らしい会社が沢山あります。個人向けのみならず業務向けに製造している会社は、一般消費者には知られることはないですが、それこそ全国にモノづくり企業は43万社ほど存在しています。

そして製造業のみならず、あらゆる受注者、発注者ともに何かを検索したらすぐわかるといったGoogleのようなものはまだなく、テクノロジーによって法人のマッチングをはかっていく。この出会いの創出により日本を活性化させるミッションを担っているのがリンカーズさんです。

政府系金融機関であるDBJさんをはじめとして、有力なベンチャーキャピタルが出資しています。

今は0から1の立ち上げフェーズを乗り越えさらなる発展に向けて新規事業の立ち上げなど拡大フェーズに入っています。

大きな市場規模を狙っている企業で、それでいてかつ隠れた優良企業を探すといった社会価値のあるプラットフォームを創ることはとても魅力のあることだと思います。ちょうどこのようなタイミングで転職し、挑戦することはあらゆる職種においてやりがいがあると感じます。

ネット業界の方でも案外まだ気づいていない事業領域でその点も含め面白いと思います。社風としては誠実で実直なタイプの方がフィットするように思います。

 

<取材・執筆・撮影>高野秀敏・田崎莉奈

 

 

高野 秀敏

キープレイヤーズ 代表取締役

99年に株式会社インテリジェンスへ入社。2005年に株式会社キープレイヤーズを設立。3000名以上の経営者の相談と、10000名以上の個人のキャリアカウンセリングを行う。また、30社以上の社外役員・アドバイザー・エンジェル投資を国内・シリコンバレー・バングラデシュで実行。キャリアや起業、スタートアップ関連の講演回数100回以上。

 

 

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