90年代、業績不振に苦しむ日産をV字回復させた立役者、カルロス・ゴーン氏の逮捕・解任が話題となっています。
彼のスキャンダルはさておき、ゴーン氏が何をしてきたのか、気になるところではないでしょうか。ミシュランでの現地法人立て直し、ルノーの再建など華麗なキャリアを持つゴーン氏の成果の中でも、現在渦中の日産の業績をV字回復させた「日産リバイバルプラン(以下NRP)」についてまとめてみました。
カルロス・ゴーン氏の略歴(2000年まで)
1954年 ブラジル生まれ
74年 フランス国立理工科大学(Ecole Polytechnique)に入学
78年 フランス国立高等鉱業学校(Ecole des Mines de Paris)を卒業
78年 ミシュラン入社
85年 ブラジル・ミシュラン社長に就任
89年 ミシュランの北米子会社の社長、CEO(最高経営責任者)に就任
90年 北米ミシュランの会長、社長、CEOに就任
96年 ルノーに入社、上級副社長(Executive Vice President)に就任
99年 日産自動車のCOO(最高執行責任者)に就任
2000年 日産自動車の社長に就任
リバイバルプラン以前の業績
98年の業績
グローバルシェア | 4.9% |
グローバル生産台数(百万台) | 2.46 |
国内シェア | 19.7% |
当期利益 | ▲277億円 |
有利子負債 | 21,000億円 |
98年当時の日産の最悪の業績に苦しんでいました。グローバルシェアは、91年の6.6%から4.9%まで低下、生産台数も91年の306万台から246万台まで低下していました。また、88年から98年の間に6度の赤字を出し、有利子負債額は、2兆1千億円へと膨らんでいました。 日産の業績不振の背景には、行き過ぎたセクリョナリズムと社内闘争にあると言われます。プラットフォームや工場の数は膨れ上がっていました(7工場・24プラットフォーム、99年)。またサプライヤー、販売店は日産幹部の実質的な天下り先となっていました。。NRPはそれらの適正化を図ったとという意味を持ちます。
さて、NRPでは業績不振の原因を次のように示しています。
業績不振の理由(NRPより
- 利益追求の不徹底
- 顧客指向性の不足
- 機能・地域・職位横断型業務の不足
- 危機意識の欠如
- 共有ビジョンや共通の長期計画の欠如
99年当時、43車種を販売していたが、車種単体で黒字だったのは4車種だけだったようです。ルノーから日産に来たゴーン氏は、まず経営会議で新型車の開発計画を却下したそうです。その計画の採算性に疑問があったとのことです。 当時の日産は「利益追求」を徹底していなかったということでしょう。また過度なセクショナリズムを背景に「機能・地域・職位」を超えて業務を遂行できる環境が整ったいなかったのでしょう。
日産リバイバルプランの内容
リバイバルプランの概要は、自動車事業を発展させ、低下した国内外の市場におけるプレゼンスを高めること、1兆円のコスト削減と有利子負債の半減を唱っています。NRPの数値目標抜粋1兆円ものコスト削減を図るために、日産幹部の天下りによって高止まりした購買価格で納入していた系列関係(サプライヤー)を解体するなど、NRPは大きな痛みを伴いました。特に鉄鋼業界の動きが話題となりました。日産は当時の鉄鋼大手5社のうち4社からほぼ均等に鋼材を買っていましたが、それを2社に絞りました。 その結果、取引高が大幅に減ったNKKは川崎製鉄と経営統合し、現在のJFEスチールが誕生しました。
最後に
日産リバイバルプランは、2002年度までの中期経営計画として策定されましたが、実際には1年前倒しでの目標達成となりました。NRPは、大幅な人員削減やサプライヤーの解体など痛みを伴いましたが、生産性の向上により日産の競争力だけでなく、サプライヤーの競争力が高まり日本の自動車産業全体への良い効果があったかもしれません。その後、日産の動きを見ていますと、本当にこの動きをしたことがよかったのかどうなのかと思います。